【自殺のシュミレーションまでしました…】

今回は前回の話、「自殺を考えたほど追い込まれた”ある出来事”」の続きをお話しします。

前回の内容をご覧になってない場合は、
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私は、自分の直感をけっこう信じるほうです。

直感とは、何か事が起こった瞬間にその後にやるべき行動の答えとも言えると思います。

いろいろ考えて出した答えではなく、直感的に出てきた答えです。

例えば、いつもではないのですが、何か自分の人生に関わるようなことで迷った時に「こっち道に進んだほうが上手くいく」という心の声が聞こえてくるのですね。

で、素直にその心の声に従うと大体、上手くいくのです。

逆に直感を無視すると後々苦労したり、悪い大きな出来事が起きたりしました。

それに気づいた30代後半くらいから心の声…直感を信じるようになりました。

そして、前回の続きの話…

同僚が自殺した後、すぐにその心の声が聞こえてきまして、

「もう、このタイミングで辞めたほうがいいぞ」という直感でした。

しかし、Nさんのこと(自殺)が理由で辞めたいとは言えません…
(Nさんの自殺のことは、私は何も知らない(聞いていない)ことになっていたので)

なので、何を退職の理由にすればいいかで迷っていました。

ですが、不思議なもので、それから2週間くらいして、実家の弟から電話があり、

「結婚するから、実家を出ることにしたわ」
「ただ、最近おやじ、また肺の調子が悪いからそれが心配」

という連絡があったのです。

親父は、たばこの吸い過ぎなのか、肺が悪く、以前も病院に行ったことがあり、すぐ良くなったんですが、数年経って再発したようです。

私は思いました…

おやじの看病で岡山に帰らなければならないことを理由に店を辞めようと。

辞める大きな理由ができたわけです。

それからすぐ、社長に話し、4月末で辞めることになりました。(3ヶ月前の1月下旬に伝えました)

しかし、その後…

Nさんが自殺したと知ってから、仕事に対するヤル気が薄れたのか、アルバイトのシフト確認など怠ることが増え、ミスを繰り返すようになりました。

そのことが理由なのか、辞めると言ったことが理由なのか、分かりませんが社長は私と本店の店長を入れ替えるようになりました。

要するに私が本店に入って店長業を行い、本店店長が私が担当する店に入るということです。

本店は私が担当する店より忙しいお店で、仕込みなどの準備をかなり早く済ませなければ営業までに間に合いません。

また、チラシ配りに行く時間も必要だったので、あまり丁寧な仕込みをしていると、時間が無くなるわけです。

けっこう雑な仕事で何とか間に合うという感じ。

ある日、また本店に行かされ、その日は宴会で満席…

ですが、私は丁寧な仕込みをすることがクセになっていたため、時間がかかっていました。

宴会予約の準備は終わらせましたが、通常の仕込は一部残った状態でチラシ配りに行き、帰ってくるともう営業20分前。

他にもやることは色々あるので、あっという間に時間は過ぎ、通常の仕込みが残ったまま、営業開始となりました。

慣れてない厨房ですから、食材の場所も完全に把握してなく、効率よく調理する段取りも分かりににくく、その状況ですから厨房のアルバイトの子たちに的確な指示が出せず、徐々に料理の提供が遅れだす…

さらに、一部できなかった仕込みの一品料理(準備した分)が無くなり、仕込みながら作っていく状態になってしまい、どんどん料理の提供が遅れ、宴会の料理まで遅れ出しました。

宴会は時間が決まっていますから、決まった時間内にすべての料理を出し切らなければなりません。

必死で間に合わせようとしましたが、最後の料理を出した時には時間が大幅に過ぎていました。

この日、社長も店に入っていたのですが、

こういったお客さんに迷惑をかけるミスに対して非常に厳しく、社長から強い口調で罵倒されました。

当時、頭がパニックになっていた上での罵倒だったので、精神的ショックが凄かったです。
(パニックになっていたので、何を言われたのか憶えてないです…)

そして、

その日は満席でしたから、洗い物が多く、従業員がMAXでも片づけにかなり時間がかかる…

ですが、

社長はアルバイトを定時で退勤させ、他の従業員も早々に帰らせて、私一人になりました。

店の洗い物、全て一人でやることになったわけです。

通常、閉店は24時で1時には終わるのですが、その時は全て片付け終わるまでに、朝の4時までかかりました。

社長からの罰ゲームだったということ。

この一件から、Nさんの二の舞になると思い、一段と怖くなりました。

それから、4~5日後くらいにまた本店に行かされることになりました。

しかし、本店に行く日の朝、罵倒され、罰ゲームを受けた時のことを思い出すと恐怖から吐き気がして、店に行きたくない思いが強くなり、

「このまま逃げてしまいたい」と思いました。

通常の精神状態ではなくなっていたと思います。

出勤時間になり、家を出たのですが、吐き気が凄いので店には行かず、病院へ直行しました。

点滴を打つことになり、気が付いたら寝てしまって、夕方になっていました。

通常の精神状態ではないですから、社長はもちろん、誰にも連絡をしていません。

なので、おそらく「佐藤は飛んだな(逃げたな)」と思われているだろうと思ったんです。

ですから、いっそのこと本当にこのまま逃げてしまおうと思いましたが、「さすがに社会人としてそれは駄目だろう」と冷静な判断をする自分もいて、

携帯に社長から着信も入ってましたので、飛ぶのだけは止めようと…

点滴で体調はマシにはなりましたが、ただ、その日は仕事に行く気にはなれなかったので、夜になって社長に電話を入れました。

社長の第一声は「よう、戻って来た!」でした。

予想通り、飛んだと思われていました。

連絡もしなかったので、通常ならブチ切れられて(怒られて)当然ですから、怒られる覚悟はしていましたが、社長は特に怒ることもなかったです。

実際、体調が悪くなり、病院で点滴を打った事実もあって、それを話したからだと思います。(違うかも…)

その後、何度か本店に行かされることがありましたが、料理の提供が遅れることがないよう最大限努力して、同じミスはしないよう回避できたので、社長から罵倒されるようなことはなかったです。

同じミスを繰り返していたら、Nさんと同じ目に遭ったかもしれません…

しかし、毎日、Nさんの自殺のことは思い出すので、

そのうち自分も同じ目に遭って、追い込まれるのではないかという恐怖は常に付きまとい、本店に行かされる日は特にその恐怖は大きかったです。

1日の仕事が終わって、やっと恐怖から解放されてほんの少しだけ安心できる…

でも、翌朝になると憂鬱で、体が重怠い…

毎日、店までの足が重い…

鉄アレイを足に付けているような感覚…

怒られるのではないかという恐怖から、不整脈のような心臓の鼓動が急に早くなったり…

これが、毎日続きました。

「もしかしたら、辞められないかもしれない…」と思うことも多かったので、最悪のことを考えると精神がおかしくなり、

「逃げられ(辞められ)なかったら、いっそのこと死んでしまおうか…」と自殺を何度も考えました。

どんな死に方が一番苦しくないか?とネットで検索して、首吊りが一番楽と知り、自分の部屋で「小ここにロープをかけて…」と、シュミレーションしたこともありました。

それほど、精神的に追い込まれていました。

ただ、唯一「あと○○日で辞められる…」

この小さい希望があったことで、何とか逃げずに働き続けることができたように思います。

本店に行かされた日は、社長と会うのですが、辞めるまでの3ヶ月間の間に「ホンマに辞めるんか?」と社長に2~3回聞かれました。

私は毎回「はい…親父の看病があるので」とだけ答えました。

社長は無言で、何とも言えない複雑な表情をしていました。

親父の看病の話が嘘だと思っていたのかもしれません…

そして、3ヶ月後…

今から約10年前の2014年の4月30日…

私は毎日の恐怖から解放されました。(何事もなく退職できました)

辞めた翌日から岡山に帰る準備をしながら、過去にお世話になった方々にあいさつに行ったり、先輩や後輩の店に行って岡山に帰る報告をしたりなど、

ゴールデンウィークの1週間だけ、23年間お世話になった大阪を楽しんだ後、岡山に帰りました。

岡山に帰って来てからも紆余曲折あったのですが、それは⇒私のプロフィールを見て下さい。

ここまでが、「私が自殺を考えたほど追い込まれた”ある出来事”」であり、

10年間、封印していたお話です。

おそらく、過去の私のように仕事や人間関係で苦しんだり、悩んだりしている方は多いと思います。

この話で、私が伝えたかったことは、自分の心の声…

「直感」を信じて行動することも大事、ということ。

仕事を辞めてしまえば、次に就職できるか心配ということもあるかもしれません。

ですが、本当は辞めたいのに我慢を続けて、自分を苦しい目に遭わせ続けるのは、自分がかわいそうではないですか?

自分のためにその環境から、抜け出すことも時には大事だと思うのです。

もちろん、現状、何らかの理由でそのタイミングではない場合もあるでしょう…

でも、理性を優先し過ぎて、心の声は無視しないで頂きたいのです。

「我慢できているから…」というのは、長い目で見て自分のためにはならないような気がします。

これは絶対とは言えませんが、

私の場合は直感通りに行動することで、上手くいったことのほうが多いです。

実際、私が辞めた後、店はマイナスの大きな変化がありました。

私が担当していた店は、閉店したそうです。(よく話していた社員さんから連絡がありました)

当時から売上は下降ぎみだったんですが、私が辞めた後、さらに売上が落ち限界がきたようです。

また、別の姉妹店もあったんですが、そこも閉店となり、残ったのは本店の一軒のみ…

そんな状況になれば、社長の怒りが大爆発して、「お前らのせいだ!」と、とばっちりが社員に向けられるに決まってます。

もし、私が自分の直感を信じることなく、「辞めにくい」からという理性を優先し、ズルズルと居続けたら、そのとばっちりをもろに受けていたかもしれません。

だから、直感通りにすぐに辞めて正解だったと思ってます。

直感が全て正しいとは言い切れませんが、心の声って潜在意識と繋がっていると言われていて、正直なので、正解の場合が多いのではないでしょうか…

今回の話から、何か人生のヒントを得て頂けたら幸いです。

長文、最後まで読んで頂きありがとうございました。

次回からは、また健康料理や健康情報をお届けしていきます。

今後ともよろしくお願いいたします。

健幸料理家・健幸アドバイザー 佐藤周生

【追伸】

今回の話、できるだけ当時の状況を具体的に伝えようと思い、いろいろ思い出していると、だんだん気分が悪くなってきました。

10年も経っているので、思い出しても大丈夫かと思ったんですが、やっぱり辛くなりますね…

最後に働いた店でそんなことがあったので、大阪の最後の思い出が最悪…

また大阪に遊びにいきたいとは思えないのです、今も…

大阪という言葉を聞くだけで、あの時の苦しい思いが蘇ります。

「大阪に遊びに行こう」と思えるまで、あと10年かかるかもしれません…

大阪は良いところなんですが、

私にとっては「悪い思い出が大阪の想い出の全て」みたいになってます。

とはいえ、これも何か人生の学びの1つなのかもしれませんね。

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